2007.07.16 Monday
今日もSI−Vに関することを書いています。
気づきにどんどん加速がつき
自分自身をどんどんワークアウトしていくと
自分自身はクリアになり
頭の回転も抜群”という嬉しくもハッピーな気分なのに
なぜか
周囲の人と波長も波動も合わなくなる
特に、家族やパートナー
仲がよかった友人や同僚などとの間に
なんか
よくわからない
ギャップができてしまい
説教じみてしまったり(笑)
どうにかして
自分レベルに相手に来て欲しいと思い始めたりして
力がかかってしまうことってありませんか?
私には
もうこの十数年そのような経験がかなり・・・かなり・・・かなりあります(笑)
昔からの知り合いや
家族とはいっしょに成長していきたいものですが
この加速の時代では
一つの経験をするかしないかで
脳内の編集度がかなり変わってしまうので
統合度といってもいいかな?
つまり、脳内コンテンツが変わってしまうので
過去、その方たちと仲良くなったときの自分のコンテンツとは
かなり違ってしまうということが
このポイントに当たると思います。
以前、ニューエイジ系でこんな言葉が流行りました
「う〜ん、あなた、まだそこにいるんだ・・・」
「う〜ん、あなたは、まだ、そこにいたいのね・・・」
こんな感じの言葉(笑)
でも
なんかあきらめも引きずりますよね
なんで、いっしょに行けないの〜〜(あ!誰?エッチなことを想像したには?笑)
だからこそ
コミュニケーションが必要!と
ふつうは言いますね。
そんなこともちろんですよね!
でも
私はそれに加えて、だからこそ、
オーラリーディングの能力が必要!といいます。
相手が今、どんな意識のところにいるのかは、
会話からでは引き出せないこと沢山あります。
だって、その本人がわかっていないことなので
いくらコミュニケートしようとしてもカラまわり!
そこで、こちらの
決心が必要になりますね。
それはね
周囲の人がどのレベルにい続けようと思おうと
自分のように気づいてほしいという我を捨てて
どんどんあなたの知識や知っていること気づきなどを発信しつつ
大切だと思っている人たちを
愛することですね。
この方向を向くと
自分は愛されたいほうの度合いが大きかったか〜〜〜
なんて
気づいたりします(笑)
愛する人になれ!ですね〜〜
続きを読む >>
2007.07.15 Sunday
このブログでは
シンクロニシティーを起こして
ラッキーな自己実現を促すインタヴューSI−Vに関連することを
お伝えしています。
さて・・・
妹から面白い話しを聞きました。
コガネムシは金持ちだ〜♪
という歌がありますよね、皆さんよく知っているあれです。
このコガネムシというのは
ゴキブリのことなんですって!
この歌を作詞した野口雨情の故郷では
ブラウンの小さなゴキブリをコガネムシというそう・・・
なんでも
あのお腹にかかえている大きな卵の袋が
お財布に見えて
その中に沢山のたまごがはいっているのでそう言うそうです。
そういえば
この型のゴキブリは捕まえられてもう駄目!という寸前に
どんどん卵を産むんです。
以前見たことがあってびっくりしましたが
このことなんですね〜〜
SI−V的な観点で見ると
これって
思い込みがはずれる瞬間として
こういう知識ってすごく大切なんです。
そんなことを思ってBBC放送をみていたら
玉葱についてびっくりする発見がありました。
古代から玉葱はその切り口の年輪のようなものを
人の意識の階層や、輪廻転生を示すものとして珍重されたきたそうです。
そして
そのシンボルが
なんと、モスクなどの屋根のあのソフトクリームの先っちょのような
玉葱の頭になっているとのこと
へ〜〜
その上、玉葱はどんな病気も予防するという薬の役目をするとのこと
番組では、玉葱を使ったお料理も紹介してくれたので
フランスで人気のあるオニオンスープをこれから作ろうと思っています♪
赤玉葱のジャムもおいしそう〜
2007.07.15 Sunday
日本は、台風に見舞われていると聞きました。
イギリスの今日のお天気は
信じられないくらい澄んだ青い空に
どこまでもクリアな光りを放つ太陽にめぐまれています。
地球上でもこんなに違いがあるように
ここにいたら
日本のお天気がわからないように
多分、私たちは、人の置かれている環境って
きっと想像もつかないんじゃないかなと
ドライブしながら考えていました。
人の気持ちは環境によっても
周囲の人によっても
違いますよね?
慮ることができても、その環境にいないと
どうしても、頭だけで想像し、
・・じゃないか・・・
・・のはず・・・
と、自分に照らし合わせてしまいますね。
人はみんなそれぞれ違う。
尊重するためには
相手の気持ちを慮るよりも
「違うのだ」ということを
よく知っている必要があるんですね。
2007.07.14 Saturday
チャネラーという名称で自分を表現していた時代から
今にいたるまで
さまざまなチャネリング情報にであってきましたが
そもそも
チャネリングとは何なのか?
ということを
そろそろ
お伝えしていくのもいいかな(笑)
なんて
思っています。
これからシリーズで時々書いていくことにしますね。
その1
チャネリングは
誰もがすでにしていることです。
私たちは、五感を通していろいろなことを受信している受信機のようなものです。
平たく言うと
いろいろなことを感じながら生きているということですね。
この際、
自分の外側に世界との関係に焦点を合わせているわけですが
内側の世界のほうに焦点をあわせることは
どの人も
自分の心の中をみること感じることだと思っているんですね。
でも
実際は・・・ですね
内側の世界も
外側の世界と同じように
自分の気持ちや心だけがあるのではなく
忙しい町の人通りのように
他の意識も常に行き来しているんです。
え〜〜〜!
うっそ〜〜〜!!!
じゃ、私の内側にはいろんな意識が勝手に入りこんで行き来しているということなの!
信じられない!!!
と、思うでしょう?
でも、本当。
これ、本当です。
このいろんな意識が有象無象しているところは
町の人通りのようなところだと思ってください。
あなた自身の意識のペントハウスのようなものは
あなたの神殿
あるいは高層ビル
あるいはお城
あるいは邸宅
なんでもいいのですが
そんなところの最上階あるいは
奥の院のようなところにあります。
有象無象とした
他の意識が行き来するところのことを
雑念と呼んだりしますね。
この雑念を祓うのは
難しいですね
だって
そこは有象無象が行き来する場ですから
自分がそこから祓われなければならないんです。
それは
自分の意識のペントハウスや奥の院のようなところに移動することなんですね。
別の言葉でいえば
自分の中心に入る、いくということです。
ここからさまざまな意識のうごめきを眺めるようなことができるようになると
チャネリングは自然にできるようになります。
つまり
自分の意識と他者の意識が
はっきりとどこからどこまでが自分で
どこからどこまでが自分以外の意識なのか・・・
わかるようになるんですね。
すると
自分の内側をとおして
ああ
あの意識体はこんなことを伝えようとしている
お!この意識体はかなり私の中心の場所にまで近づいてきて
何かを伝えようとしているな!
あれ?
なんかちょっと珍しい意識が意識の通り道にきてるじゃない?
何?へえ・・・
これは人の意識じゃないようですね?
あれ?
自分のペントハウスのもっとその上から
何かが語りかけてきているなあ
これはなに?
そんなふうに
意識のチャンネルを内側を通過しているさまざまな意識に
一つ一つあわせていくと
自分の中にはなんて
広い世界があって
思った以上に沢山の意識がうごめいて通過しているのだな
そんなことがわかってきます。
だから
自分の意識の中には
ダークな存在も通過すれば
宇宙人も天使も
花や木の精も
動物の聖なる意識も
過去の賢者も
未来系の人の意識も
すべてがすでにある・・・んですね。
で
チャンネルとは
ある特定のものにチャンネルを合わせる
つまり
周波数をあわせることですから
その周波数にフォーカスしつづけると
そこから
どんどん情報がはいってくるようになり
つながる
あるいは
まるで自分の意識のように
作動しはじめるというわけなんです。
これを
内なるガイドと呼ぶ人たちもいます。
特定のガイドだけとコンタクトをとることで
○ ○をチャンネルするチャネラーというものになっていくんですね。
ただ
内側の一つの存在だけと契約をするようにチャンネルをしていると
どちらが自分だか
わからなくなってしまうこともあるので
切り替えをしっかりする必要があると思う人は
あるいは
切り替えないと
自分を失ってしまうのではという気持ちを持っている人は
トランスに入ってこのチャネリング作業を行うんですね。
これをトランスチャンネルといいます。
ただし
本人がそこまでわかっていないで
自然にそのような意識の制御装置が働いてしまうこともあり
そのことを
日本では
神がかりといいますね。
その人自身がハンドルできないような高い波動のときには
神がかり
でも
フォーカスしたものが、低い波動で
身体に障る、たたるようなものは
憑依
このように区別します。
とくに
憑依してくるような周波数の意識体は
自分は偉い、自分は神様のようなものだ
自分は選ばれている
自分は聖なる力である
と
聖なるもののふりをしてやってきますので
区別をつけることが難しいんですね。
まるで愛と智恵をもたらすような雰囲気で
私たちの弱いところにすっと近寄ってきます。
この中には
お亡くなりになった方もいます。
やっかいなことに
亡くなった愛する人たちへの気持ちは
どこかさびしく 弱いものもあるので
それを利用してくる本人ではないお亡くなりになった方の意識が
問題ですね。
供養しているつもりでも
横取りしていきます。
そして
同じような意識体が集まってきて
状況をむずかしくしていくんですね。
だから
よく供養しなさいという方たちがいますが
亡くなった方に対して
供養をすると
横取りされてしまうことがありますので
亡くなられた愛する方たちが
光りの中に入っていく様子をつねに見続けてあげることが
大切ですね。
横取りに来るものたちは
光り、嫌いですから
そこで
仏教の習慣で
影膳といって
ひもじい想いをしている意識体に
実際の食事を一皿もうけておくんですね。
高い波動のものたちは
実際の物質的なものなど要求しません
たとえ
花であってもです。
波動の高い世界の香りのほうが
この世界のお花の香りよりもずっとかぐわしいのでしょうね、きっと!
話を元に戻しますね
チャネリングは
だから
誰にでもできるんです。
ただ
どの人も
自分の内側の世界がそんなに騒々しく
いろいろな意識が行き来しているところであるという認識ももっていないし
ましてや
親や学校の先生から
そういう構造になっているということなど教えられていないので
自分の中に
自分以外の意識があって
その意識が何か自分に影響をするなどということは
人格が分裂しているということだろうとか
統合失調症というものだろうとか
あるいは
多重人格者だろうというように
心理的な解釈をして
病気である、ありえないことであると
してしまうのですね。
違うんですね、本当は。
いろんなものがいるんです。
人間の皮一枚へだてて
外にも
中にも
世界は広がっている(笑)
だから
容易に、他の意識体に自分を明け渡してしまったりすることは
危険なんですね。
でも
日本の人たちは明治時代からのなごりなのか
外国から来るものは
それが知識であろうが、方法であろうが
はなから
すばらしいものであるとしてしまう傾向があり
自ら占領させてしまうようなことを平気でしてしまう幼さをもっているんですね。
内的に
すばらしいということと
珍しいということを
取り違えている部分もあると思います。
そして
1980年代の後半から
日本にどんどんやってきた
外国人の方たちが自ら契約している意識体たちを
無防備に受け入れていってしまったという感が強くありますね。
まず
チャネリング元年の時代に
チャネリングというものに興味を持った人たちの大半が
これらの意識を自分の中にとりこんでしまったので
どこからどこまでが自分なのかがわからなくなってしまい
チャネラーとして作動することが難しくなってしまった感があります。
ここまで読んでいただければ解かると思いますが
過去世だと思っている物の中には
自分のものではなく
他者の意識もあるのですよということですね。
だから
誰もがマリーアントワネットになり
誰もがクレオパトラになり
織田信長になるんですね(笑)
意識の世界の中には
戦争や天変地異のときに強く発せられたものが
今もまだうようよいます。
そこにチャンネルを合わせると
「時間がない!」
と、あおってきて、その上、人としての使命感に訴えてくるような情報として
翻訳されてしまうことがあります。
意識体から来る想念を人間の言葉に翻訳するためには
チャネラー自身のボキャブラリーや
文章力にかなり負うところがあります。
ここで
また問題になるのが
英語でチャネリングされたもので
日本語に、日本人の意識にしっかりとあわせて
翻訳せれているものが
少ないということと
ちゃんと翻訳されていても
日本の意識でそれを解釈してしまうために
まったく
異なる解釈をしているということも多々起こる
そこで
いろんな
問題や誤解が生じて
デマのような情報になって
出回ってしまうということなんですね。
たとえば
チャネリングの情報には
ゆるす
という言葉がよく出てきますが
これが
許可することなのか
原罪を赦すことなのか
そこらへんが
ごちゃごちゃになっていることがよくあります。
まず、
日本人の信条の中には
強いキリスト教の方ではいかぎり
原罪という意識はないのではないかと思いますが
チャネリングの情報により
自分の中に原罪という観念を取り入れてしまうこともあるんですね。
すでにゆるされているのに
赦されていないという考えをとりこみ
赦されるという感覚を味わうわけです。
高度な意識の遊びともいえますが
認識せずにそのような高度な遊びができるわけがありません。
無邪気に、無垢に、純粋に
自分を犯してしまうんですね。
そのような行為のことを
それこそ
キリスト教では
無知の罪といいますね。
知ることに対して開いている姿勢と
無防備に他の意識を取り込むことは
似て非なるものです。
きっと
この違いを知ることが提供されることを教育というのではないかと思いますが
その違いがわからず、
外界の世界でどのようにうまく生きていけばいいのかということにだけ
目を向けてきた人たちが、その方法を伝授することを教育であるとしていたとしたら
真実を知らされない子供たちは
育てられず、行き場のない思いの世界に生き
内側の世界を行き来する意識に自分をのっとられてしまうことに対して
どのような対処をとっていいのかもわからず
世界という場に、自分というものをもって存在することの喜びを知らず
同じような種類の子孫を作っていくことになるのではないでしょうか?
それは
進化ではなく
退化です。
だから
今、またニューエイジの再来のように
チャネリングが取りざたされたり
スピリチュアルなことにフォーカスされたりし始めているのだと思います。
2007.07.14 Saturday
チャネラーという名称で自分を表現していた時代から
今にいたるまで
さまざまなチャネリング情報にであってきましたが
そもそも
チャネリングとは何なのか?
ということを
そろそろ
お伝えしていくのもいいかな(笑)
なんて
思っています。
これからシリーズで時々書いていくことにしますね。
その1
チャネリングは
誰もがすでにしていることです。
私たちは、五感を通していろいろなことを受信している受信機のようなものです。
平たく言うと
いろいろなことを感じながら生きているということですね。
この際、
自分の外側に世界との関係に焦点を合わせているわけですが
内側の世界のほうに焦点をあわせることは
どの人も
自分の心の中をみること感じることだと思っているんですね。
でも
実際は・・・ですね
内側の世界も
外側の世界と同じように
自分の気持ちや心だけがあるのではなく
忙しい町の人通りのように
他の意識も常に行き来しているんです。
え〜〜〜!
うっそ〜〜〜!!!
じゃ、私の内側にはいろんな意識が勝手に入りこんで行き来しているということなの!
信じられない!!!
と、思うでしょう?
でも、本当。
これ、本当です。
このいろんな意識が有象無象しているところは
町の人通りのようなところだと思ってください。
あなた自身の意識のペントハウスのようなものは
あなたの神殿
あるいは高層ビル
あるいはお城
あるいは邸宅
なんでもいいのですが
そんなところの最上階あるいは
奥の院のようなところにあります。
有象無象とした
他の意識が行き来するところのことを
雑念と呼んだりしますね。
この雑念を祓うのは
難しいですね
だって
そこは有象無象が行き来する場ですから
自分がそこから祓われなければならないんです。
それは
自分の意識のペントハウスや奥の院のようなところに移動することなんですね。
別の言葉でいえば
自分の中心に入る、いくということです。
ここからさまざまな意識のうごめきを眺めるようなことができるようになると
チャネリングは自然にできるようになります。
つまり
自分の意識と他者の意識が
はっきりとどこからどこまでが自分で
どこからどこまでが自分以外の意識なのか・・・
わかるようになるんですね。
すると
自分の内側をとおして
ああ
あの意識体はこんなことを伝えようとしている
お!この意識体はかなり私の中心の場所にまで近づいてきて
何かを伝えようとしているな!
あれ?
なんかちょっと珍しい意識が意識の通り道にきてるじゃない?
何?へえ・・・
これは人の意識じゃないようですね?
あれ?
自分のペントハウスのもっとその上から
何かが語りかけてきているなあ
これはなに?
そんなふうに
意識のチャンネルを内側を通過しているさまざまな意識に
一つ一つあわせていくと
自分の中にはなんて
広い世界があって
思った以上に沢山の意識がうごめいて通過しているのだな
そんなことがわかってきます。
だから
自分の意識の中には
ダークな存在も通過すれば
宇宙人も天使も
花や木の精も
動物の聖なる意識も
過去の賢者も
未来系の人の意識も
すべてがすでにある・・・んですね。
で
チャンネルとは
ある特定のものにチャンネルを合わせる
つまり
周波数をあわせることですから
その周波数にフォーカスしつづけると
そこから
どんどん情報がはいってくるようになり
つながる
あるいは
まるで自分の意識のように
作動しはじめるというわけなんです。
これを
内なるガイドと呼ぶ人たちもいます。
特定のガイドだけとコンタクトをとることで
○ ○をチャンネルするチャネラーというものになっていくんですね。
ただ
内側の一つの存在だけと契約をするようにチャンネルをしていると
どちらが自分だか
わからなくなってしまうこともあるので
切り替えをしっかりする必要があると思う人は
あるいは
切り替えないと
自分を失ってしまうのではという気持ちを持っている人は
トランスに入ってこのチャネリング作業を行うんですね。
これをトランスチャンネルといいます。
ただし
本人がそこまでわかっていないで
自然にそのような意識の制御装置が働いてしまうこともあり
そのことを
日本では
神がかりといいますね。
その人自身がハンドルできないような高い波動のときには
神がかり
でも
フォーカスしたものが、低い波動で
身体に障る、たたるようなものは
憑依
このように区別します。
とくに
憑依してくるような周波数の意識体は
自分は偉い、自分は神様のようなものだ
自分は選ばれている
自分は聖なる力である
と
聖なるもののふりをしてやってきますので
区別をつけることが難しいんですね。
まるで愛と智恵をもたらすような雰囲気で
私たちの弱いところにすっと近寄ってきます。
この中には
お亡くなりになった方もいます。
やっかいなことに
亡くなった愛する人たちへの気持ちは
どこかさびしく 弱いものもあるので
それを利用してくる本人ではないお亡くなりになった方の意識が
問題ですね。
供養しているつもりでも
横取りしていきます。
そして
同じような意識体が集まってきて
状況をむずかしくしていくんですね。
だから
よく供養しなさいという方たちがいますが
亡くなった方に対して
供養をすると
横取りされてしまうことがありますので
亡くなられた愛する方たちが
光りの中に入っていく様子をつねに見続けてあげることが
大切ですね。
横取りに来るものたちは
光り、嫌いですから
そこで
仏教の習慣で
影膳といって
ひもじい想いをしている意識体に
実際の食事を一皿もうけておくんですね。
高い波動のものたちは
実際の物質的なものなど要求しません
たとえ
花であってもです。
波動の高い世界の香りのほうが
この世界のお花の香りよりもずっとかぐわしいのでしょうね、きっと!
話を元に戻しますね
チャネリングは
だから
誰にでもできるんです。
ただ
どの人も
自分の内側の世界がそんなに騒々しく
いろいろな意識が行き来しているところであるという認識ももっていないし
ましてや
親や学校の先生から
そういう構造になっているということなど教えられていないので
自分の中に
自分以外の意識があって
その意識が何か自分に影響をするなどということは
人格が分裂しているということだろうとか
統合失調症というものだろうとか
あるいは
多重人格者だろうというように
心理的な解釈をして
病気である、ありえないことであると
してしまうのですね。
違うんですね、本当は。
いろんなものがいるんです。
人間の皮一枚へだてて
外にも
中にも
世界は広がっている(笑)
だから
容易に、他の意識体に自分を明け渡してしまったりすることは
危険なんですね。
でも
日本の人たちは明治時代からのなごりなのか
外国から来るものは
それが知識であろうが、方法であろうが
はなから
すばらしいものであるとしてしまう傾向があり
自ら占領させてしまうようなことを平気でしてしまう幼さをもっているんですね。
内的に
すばらしいということと
珍しいということを
取り違えている部分もあると思います。
そして
1980年代の後半から
日本にどんどんやってきた
外国人の方たちが自ら契約している意識体たちを
無防備に受け入れていってしまったという感が強くありますね。
まず
チャネリング元年の時代に
チャネリングというものに興味を持った人たちの大半が
これらの意識を自分の中にとりこんでしまったので
どこからどこまでが自分なのかがわからなくなってしまい
チャネラーとして作動することが難しくなってしまった感があります。
ここまで読んでいただければ解かると思いますが
過去世だと思っている物の中には
自分のものではなく
他者の意識もあるのですよということですね。
だから
誰もがマリーアントワネットになり
誰もがクレオパトラになり
織田信長になるんですね(笑)
意識の世界の中には
戦争や天変地異のときに強く発せられたものが
今もまだうようよいます。
そこにチャンネルを合わせると
「時間がない!」
と、あおってきて、その上、人としての使命感に訴えてくるような情報として
翻訳されてしまうことがあります。
意識体から来る想念を人間の言葉に翻訳するためには
チャネラー自身のボキャブラリーや
文章力にかなり負うところがあります。
ここで
また問題になるのが
英語でチャネリングされたもので
日本語に、日本人の意識にしっかりとあわせて
翻訳せれているものが
少ないということと
ちゃんと翻訳されていても
日本の意識でそれを解釈してしまうために
まったく
異なる解釈をしているということも多々起こる
そこで
いろんな
問題や誤解が生じて
デマのような情報になって
出回ってしまうということなんですね。
たとえば
チャネリングの情報には
ゆるす
という言葉がよく出てきますが
これが
許可することなのか
原罪を赦すことなのか
そこらへんが
ごちゃごちゃになっていることがよくあります。
まず、
日本人の信条の中には
強いキリスト教の方ではいかぎり
原罪という意識はないのではないかと思いますが
チャネリングの情報により
自分の中に原罪という観念を取り入れてしまうこともあるんですね。
すでにゆるされているのに
赦されていないという考えをとりこみ
赦されるという感覚を味わうわけです。
高度な意識の遊びともいえますが
認識せずにそのような高度な遊びができるわけがありません。
無邪気に、無垢に、純粋に
自分を犯してしまうんですね。
そのような行為のことを
それこそ
キリスト教では
無知の罪といいますね。
知ることに対して開いている姿勢と
無防備に他の意識を取り込むことは
似て非なるものです。
きっと
この違いを知ることが提供されることを教育というのではないかと思いますが
その違いがわからず、
外界の世界でどのようにうまく生きていけばいいのかということにだけ
目を向けてきた人たちが、その方法を伝授することを教育であるとしていたとしたら
真実を知らされない子供たちは
育てられず、行き場のない思いの世界に生き
内側の世界を行き来する意識に自分をのっとられてしまうことに対して
どのような対処をとっていいのかもわからず
世界という場に、自分というものをもって存在することの喜びを知らず
同じような種類の子孫を作っていくことになるのではないでしょうか?
それは
進化ではなく
退化です。
だから
今、またニューエイジの再来のように
チャネリングが取りざたされたり
スピリチュアルなことにフォーカスされたりし始めているのだと思います。
▲top
Copyright (C) 2004-2010
lolipop Some Rights Reserved.